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学芸会について思うこと
 昨日は子供の学芸会でした。
わが子が通う小学校も少子化の煽りを受け、今やお昼で全ての演目が終わってしまうという寂しいものになってしまいました。

例年の通り、母親と二人で観覧したのですが、場内がこれまたけっこう静かでまわりの観覧者らも皆黙っているのでステージを見ながらあーだこーだとペチャクチャと喋るわけにもいかず。窮屈でした。

わが子が登場しても無言の夫婦や、一緒に来ているのに別々の席で見る夫婦が多いことに驚きました。
そして拍手が少ない。まったく拍手をしない父母がとても多いのです。
子供たちが頑張って披露しているのだから、演目が終わった時くらいしっかりと手を叩いてあげるべきです。
孫さんを見に来ているお年寄りのほうが笑ったり驚いたり純真な反応を示していましたし、拍手も力弱い乾いた音ながらもパチパチとちゃんと叩いていました。

小学校の学芸会といえば、劇・リズム(踊り)・音楽(合唱と器楽)と、ほぼこの三つの要素で構成されています。
これはどこの学校も同じなのでしょうか。
毎年毎年見ていると、曲や劇の内容は違うにしても、枠組みは毎回同じというか、あまり突飛なものってやらないですよね。
これは何故なのでしょう?
劇を見ていても、まったく面白くない、児童の個性などほとんど生かされていないものが殆どです。
どこの学校でも入手可能な学芸会用の台本をそのまま使って更にはアドリブなど皆無なのだから個性が生きないのは当然ですよね。

学芸会とは何かしらの芸を披露するものなのですから、先の三つの要素にこだわらず、もう少し内容の濃い見応えのあるパフォーマンスを導入しても良いような気がします。
最低限の条件として、
「児童の負担にならないこと」「個性を生かすこと」「児童自身が楽しんで取り組めること」。
この三つを考慮しつつも、じゃあ、具体的にどんなこと?と考えると難しいのですが。
特に「個性を生かす」というところで難航しそうな気がします。

それが無理であれば、学芸会専門の演出家という職種を設け、劇や踊りの指導をもっと緻密に行うとか。それだけでも、ありきたりな学芸会に革命を起こすことが出来そうな気がします。
でもこれだと生徒に負担が掛かっちゃいますかね。
選ぶ演出家によって当たりハズレが出てきそうだし。

んー難しい。

まぁ一番現実的な打開策としては、もっと面白い台本を作る、というところでしょうか。
有名な脚本家に学芸会用の台本を書いてもらう。
誰がやっても同じ、ではなく、その子自身の個性がもっと出るような。
よし、これでいこう。

で、この立案は誰に申し出れば良いのでしょうか?
PTA?教育委員会?
どこに言っても軽くあしらわれるような気がします。
はぁ…そう考えると革命を起こすのって物凄く大変なんですねぇ。

そもそも、そんなことを考えなくたって大抵の親は、普遍的な劇であろうが台詞が棒読みであろうが村人3であろうが舞台上に立っているわが子の姿を見るだけで微笑ましい気持ちになるのですから、子供の学芸会にクオリティを求める方がお門違いなのでしょうね。

実は今度、学校の会報誌で父母代表として「学芸会を見た感想」を書かなくちゃならないのです。
どんなことを書こうかなぁと考えているうちに出てきたのがこの考えでした。
いくら空気が読めない私でも流石に「ほとんどの劇はつまらない」とか書けないです。
なので会報誌には、もうひとつ考えている「ちょっとええ話」風のバージョンで提出すると思います。


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私と彼女、そして彼女の所有物
今日は、この春に赤ちゃんを産んだ友達の家へ遊びに行って来た。
産んでから初めての訪問。
友達の家は行こうと思えばいつでも行ける距離。
そんな距離でも滅多に会わない。
でも友達なんです、私たち。オカシイね。

彼女と会うのはしばらくぶりだったので何だかんだと話が弾んだ。

彼女と私の場合、いつも私が聞き役に徹するのが殆どである。
だからと言って彼女が傲慢でおしゃべりな人間かと言うと、まったく違う。
そして私が自己主張をしない受け身の人間かと言うと、それもまた違う。

そんな私たちに何故そういう関係性が生まれるのか?

1、彼女は身の回りの出来事を話したい人間である。
  私は身近なことより宇宙のことや哲学的な話がしたい人間である。

2、彼女は生活上の喜怒哀楽を回顧して他人に上手く話すことができる。
  私はそれを他人に上手く話すことが出来ない。

3、彼女は他人の話を聞いて、そこから話を広げるのが苦手である。
  私はそれがわりと得意なほうである。

これが思いつく要因である。

私は滅多に会わない友達にいきなり宇宙の話を語り始めるような不躾な真似はしない。
なので身近な話を得意とする友達が必然的に語り手になることになる。

ネガティブなことも含んだ彼女の身辺の話を聞くことにストレスを感じないと言ったら嘘になる。
だから自分からは滅多に会う機会を作らないのだ。

でも、彼女のことが嫌いなわけでもないし、帰路には「何だかんだで楽しく笑ったなー」と感じるし、
彼女と私の関係はこれでいいのだ。と私は思っている。


赤ちゃんはムチムチで可愛かった。
ギャアギャア泣いたりすることもなく、可愛かった。

友達からちょっと借りて抱っこしてみたけど、あったかい哺乳類の赤ちゃんそのままだった。
ほぼ、熱と肉の塊だった。
でも表情があった。
そしてそれは友達の所有物として、只ならぬ存在感を放っていた。
私は、試着して似合わなかった服を戻す時のような気持ちで、赤ん坊を友達へ返した。

あのぽてっとした感じ、懐かしかった。
かつての私の所有物は今、私と靴下を共有するまでに巨大化した。



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